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*신약 성경*/고린도전서

11.26. [4개국어] 십자가와 함께 죽고 부활의 능력으로 살다 (고린도전서 15:20-34)

by 일본어강사 2013. 11. 26.

요미가나 일본어성경

コリント人(びと)への手紙(てがみ) 第一(だいいち)

十五章(じゅうごしょう)

[4개국어] 十字架(じゅうじか)とともに死(し)に、復活(ふっかつ)の力(ちから)で生(い)きる

(고린도전서 15:20-34) : http://www.cgntv.net/#/main.jsp

 

20. しかし、今(いま)やキリストは、

眠(ねむ)った者(もの)の初穂(はつほ)として

死者(ししゃ)の中(なか)からよみがえられました。

 

20. ○그러나 이제 그리스도께서 죽은 자 가운데서 다시 살아나사 잠자는 자들의 첫 열매가 되셨도다

 

21. というのは、死(し)がひとりの人(ひと)を通(とお)して

来(き)たように、死者(ししゃ)の復活(ふっかつ)も

ひとりの人を通して来たからです。

 

21. 사망이 한 사람으로 말미암았으니 죽은 자의 부활도 한 사람으로 말미암는도다

 

22. すなわち、アダムにあってすべての人(ひと)が

死(し)んでいるように、キリストによってすべての人が

生(い)かされるからです。

 

22. 아담 안에서 모든 사람이 죽은 것 같이 그리스도 안에서 모든 사람이 삶을 얻으리라

 

23. しかし、おのおのにその順番(じゅんばん)があります。

まず初穂(はつほ)であるキリスト、次(つぎ)にキリストの

再臨(さいりん)のときキリストに属(ぞく)している者(もの)です。

 

23. 그러나 각각 자기 차례대로 되리니 먼저는 첫 열매인 그리스도요 다음에는 그가 강림하실 때에 그리스도에게 속한 자요

 

24. それから終(お)わりが来(き)ます。

そのとき、キリストはあらゆる支配(しはい)と、

あらゆる権威(けんい)、権力(けんりょく)を滅(ほろ)ぼし、

国(くに)を父(ちち)なる神(かみ)にお渡(わた)しになります。

 

24. 그 후에는 마지막이니 그가 모든 통치와 모든 권세와 능력을 멸하시고 나라를 아버지 하나님께 바칠 때라

 

25. キリストの支配(しはい)は、

すべての敵(てき)をその足(あし)の下(した)に置(お)くまで、

と定(さだ)められているからです。

 

25. 그가 모든 원수를 그 발 아래에 둘 때까지 반드시 왕 노릇 하시리니

 

26. 最後(さいご)の敵(てき)である死(し)も滅(ほろ)ぼされます。

 

26. 맨 나중에 멸망 받을 원수는 사망이니라

 

27. 「彼(かれ)は万物(ばんぶつ)をその足(あし)の下(した)に

従(したが)わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、

と言(い)うとき、万物を従わせたその方(かた)が

それに含(ふく)められていないことは明(あき)らかです。

 

27. 만물을 그의 발 아래에 두셨다 하셨으니 만물을 아래에 둔다 말씀하실 때에 만물을 그의 아래에 두신 이가 그 중에 들지 아니한 것이 분명하도다

 

28. しかし、万物(ばんぶつ)が御子(みこ)に従(したが)うとき、

御子自身(みこじしん)も、ご自分(じぶん)に万物を

従(したが)わせた方(かた)に従われます。これは、神(かみ)が、

すべてにおいてすべてとなられるためです。

 

28. 만물을 그에게 복종하게 하실 때에는 아들 자신도 그 때에 만물을 자기에게 복종하게 하신 이에게 복종하게 되리니 이는 하나님이 만유의 주로서 만유 안에 계시려 하심이라

 

29. もしこうでなかったら、死者(ししゃ)のゆえにバプテスマを

受(う)ける人(ひと)たちは、何(なん)のためにそうするのですか。

もし、死者は決(けっ)してよみがえらないのなら、

なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。

 

29. ○만일 죽은 자들이 도무지 다시 살아나지 못하면 죽은 자들을 위하여 세례를 받는 자들이 무엇을 하겠느냐 어찌하여 그들을 위하여 세례를 받느냐

 

30. また、なぜ私(わたし)たちも

いつも危険(きけん)にさらされているのでしょうか。

 

30. 또 어찌하여 우리가 언제나 위험을 무릅쓰리요

 

31. 兄弟(きょうだい)たち。私(わたし)にとって、

毎日(まいにち)が死(し)の連続(れんぞく)です。

これは、私(わたし)たちの主(しゅ)キリスト․イエスにあって

あなたがたを誇(ほこ)る私の誇りにかけて、

誓(ちか)って言(い)えることです。

 

31. 형제들아 내가 그리스도 예수 우리 주 안에서 가진 바 너희에 대한 나의 자랑을 두고 단언하노니 나는 날마다 죽노라

 

32. もし、私(わたし)が人間的(にんげんてき)な動機(どうき)から、

エペソで獣(けもの)と戦(たたか)ったのなら、

何(なん)の益(えき)があるでしょう。

もし、死者(ししゃ)の復活(ふっかつ)がないのなら、

「あすは死(し)ぬのだ。さあ、飲(の)み食(く)いしようでは

ないか。」ということになるのです。

 

32. 내가 사람의 방법으로 에베소에서 맹수와 더불어 싸웠다면 내게 무슨 유익이 있으리요 죽은 자가 다시 살아나지 못한다면 내일 죽을 터이니 먹고 마시자 하리라

 

33. 思(おも)い違(ちが)いをしてはいけません。

友(とも)だちが悪(わる)ければ、

良(よ)い習慣(しゅうかん)がそこなわれます。

 

33. 속지 말라 악한 동무들은 선한 행실을 더럽히나니

 

34. 目(め)をさまして、正(ただ)しい生活(せいかつ)を送(おく)り、

罪(つみ)をやめなさい。神(かみ)についての正しい知識(ちしき)を

持(も)っていない人(ひと)たちがいます。私(わたし)は

あなたがたをはずかしめるために、こう言(い)っているのです。

 

34. 깨어 의를 행하고 죄를 짓지 말라 하나님을 알지 못하는 자가 있기로 내가 너희를 부끄럽게 하기 위하여 말하노라

 

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